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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第120話 大和ミュージアム
広島にいる後輩のご尊父がお亡くなりになられ、後輩を訪ねる傍ら呉にある「大和ミュージアム」にいってきました。大和の十分の一のモデルが展示されていることで有名ですが、限られた時間でしたがいってきました。ミュージアムはJR呉の駅から徒歩5分ほどの距離にありました。近くには実物の退役潜水艦を展示していることで最近話題になった海上自衛隊の施設もありました。
建物の中に入ると、一階にその大和はありました。さすがに十分の一の大きさは細部まで再現されており、プラモデルでしか見たことのない細部をじっくりと見ることが出来ました。
ちょっと余談になりますが、私は小学校の高学年から中学に入ったあたりまで模型の船を作っていました。だから、そのものすごい出来ばえにその苦労が偲ばれました。
ちなみに私が最後に作った船は、先々代のさくら丸、貿易見本市船として日本の商品産物をのせて世界中を巡航(もちろん輸出振興のため)していた船です。全長157m、その百分の一157cmでした。ちょうど当時の私の身長と同じ(船の方が何センチか長かった)で、ずいぶん大きなもの作っていた気がしましたが、細部の再現はもっと大変でした。何しろ、プラモデルではないのでパーツはすべて木、金属を加工して作るのですから。そのことを思い出して、恐ろしく大変だったろうなと大和を見ながら思いました。私の作っていた先々代の貿易見本市船のさくら丸に関してその後、妙なところでその生い立ちを知りました。昔、1950年代から60年代の初め、いったんは再開された自動車の輸入が、外貨事情の悪化から再び停止されました。そのころ、外車を買いたい人にオークションが行われました。ディーラーのつけた価格が最低落札価格で、購入希望者にオークションをしてもらい一番高くつけた人がそのクルマを購入できるというものです。そしてその希望価格とデイーラーの価格との差を当時計画されていた貿易見本市船の建造費に当てるというものでした。その辺に関して、CGのミツワの広告('72.1)の中に詳しく出てきます。356の購入に関して、あるオーナーがご苦労されたことが載っています。古いCG('72.1)をお持ち方はもう一度ごらんになってください。その船がさくら丸だったのです。まあ、こじつけて言えば、模型製作もポルシェとは無関係ではなかったというです。
横道はそれくらいにして、今回いくつかの新しい発見というか、再確認したことがあります。
第一に、海軍工廠のすごさ、規模の大きさ技術水準の高さです。簡単に言ってしまえば、呉という都市そのものが最先端を行く巨大な軍需工場だったということです。
第二に、戦前の日本人はすごいとあらためて感じさせられたことです。
第三に、その上に今の現代日本があるということです。
詳しいことは人によって見解も違うでしょうから、詳細から論じるのはここでは控えます。是非一度、機会があったら立ち寄ってみてください。
今後の平和な日本の存在と発展をどう実現させていくのか、一人一人が考えていくのに意味ある施設だと思い取り上げてみました。


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