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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第19話
有名レストアラーの真実

私がナローをはじめて所有したのは、ご存知の方もおられると思いますがレストア済み73Sを買ってからです。このクルマは、356のレストアで有名なアメリカのジョン・トーレン氏によってレストアされたものでした。はじめてこの73Sを目の当たりにした時の印象は、なんてきれいなナローなんだろうという驚きとうまく説明できませんがうれしいという気持ちでした。それまで何台かのナローを見てきた目から見るとすばらしいの一語でした。
それまでに見てきたナローは、必ずどこかが錆びていて、室内にくたびれがあって、エンジンが健康とは思えない音を出していました。それをショップの社長さんや店員さんは、こんなに錆びの少ないクルマはないです、室内は程度がいいですよこのクルマ、エンジンも当面大きなメンテはいらないでしょうと言っていました。そんなクルマ達から見たら、その73Sは新車のようだと思えました。ほしい、買わなければと気持ちが急きました。
そして、この73Sを購入しました。後日残金と引き換えにクルマを受け取りそのまま東京まで乗って帰りました。乗り出しの昂奮から少し冷静になってふたつの事が気になりました。ひとつは直進付近のステアリングの曖昧さというか、頼り無さ、もうひとつは車高の不揃いを休憩のパーキングエリアで発見したことです。当時はポルシェショップを始めるなんて考えもしない事でしたから、翌朝迷わずミツワに持っていきました。もちろん、このナロー以外にもディーラーものの新車を買ったりしていましたので事前に、営業、フロントに話しをして並行ものでも見てもらえるように段取りは付けておきました。そして、その時伝えたことを今でも覚えています。新車のようにレストアされているので、新車点検のようなオイル交換、フィルター類の交換、ベルト類の点検程度で済むと思います。ただ、アライメントと車高の調整はお願いしますというものでした。

今になると良くわかりますが、一向に私のクルマは手がつきませんでした。それは、工場が混んでいたのと並行ものの古いポルシェなんかは後回しだからです。それでも一週間くらいしてやっと始まりました、今にして思えば、かなり早く手がついたといえます。
一日一度は立ち寄るのを日課にしました。午前中に立ち寄ってみるか、午後3時ころに行くか日によって違っても必ず話しを聞くか、クルマを見ました。ただ、ミツワとしては面倒臭かったと思います。私も時間があったといえばそういえるとおもいます。言い方を変えれば、ヒマがあったともいえます。

作業が始まって何日かして、どんな具合か聞いてみました。私の期待していた答えは、「さすがアメリカの一流のレストアラーの仕事は良く出来ています。感心しました。」というようなものでした。
しかし予想に反して帰ってきた答えは、「ホイールナットが締まっていなくて手で廻りました。それ以外にも、きちんとボルトやナットが締まっていないところが沢山あります。できるところから始めますが、全部点検しないとならないと思います。走っていてホイールが外れなくて良かったですね。」というものでした。
私は、えっ・・・・・?と言った後、どうしてなのか考えていました。そしてメカニックのTさんと話をしていて、コンクールに出すのにホイールナットをソケットレンチで回すとキズが付くので手で回しただけだったのではないかという結論になりました。それにしても、高速道路を走っている時に外れなくてほんとよかったと思いました。それから、締まっていないところだけではなく、社外品のボルトナットや部品が使われているところ、ナロー時代のパーツではなくもっと高年式のパーツが使われているところ、などなど次から次へと予想外のことが判明してきました。

ここに全部は書き切れませんが、ドライヴシャフトブーツの中にグリスが入ってなかったこと、ブーツがバンドで留っていなかったことを知らされ、機械部分が全く自動車になっていないことを思い知らされました。このころメカニックのTさんからエンジンを降ろしたい言われ、エンジンは大丈夫でしょうと口から出かかりましたが、そうですかと申し出に従いました。降ろしてみたら、案の定というか、レリ−ズフォークにはグリスの類いは一切付いておらず自動車整備の常識はそこにはありませんでした。

ミツワに預けて2ヶ月以上まだ道半ばといったころでしたが、使用したパーツとかかった工賃は150万円をとっくにオーバーしていました。ちょうどそのころ、チャンスがあってこのクルマを日本に輸入されたNさんと続けて2度ほどお会いする機会がありました。かくかくしかじかと経過報告をすると、Nさんはこんなことを話しはじめました。

「ジョンさんは、レストアはコンクールに出すためや人に頼まれてするのです。コンクールは、エンジンがかかって台の上に登って降りられればいいので、つまり走らなくていいので、工具を使って締めたりするとキズがついてしまうので手で締めて終わりなのではないでしょうか」
さらに続けて
「僕はジョンさんからこんなものを貰ってきています」
と証明書のようなものを探し出してきてくれました。そこには、このクルマのレストアは自分がしたこととシャシーナンバーと簡単なこのクルマの生い立ち、そして最後に注意書きが書かれていました。

『メカニックの検査を受ける前にこのクルマを運転してはいけない』

私はNさんに、クルマを買われたオーナーの方にこの証明書を渡されなかったのですかと尋ねました。Nさんが何かを言われたのですが、残念ですがもうその時のNさんの話を覚えていません。しかし、結果として買われたオーナーの手には注意書きは渡らなかったのでした。
私は腹を括りました。結局前後2回4ヶ月以上に渡ったミツワ自動車での徹底した部品交換と整備で、クルマは自動車に、ポルシェに、73Sに、なりました。修理、整備にかかったお金はミツワ以外の支払いを含めてトータル350万円を越えました。

ただ、当時を思い起こしてみて、今の私の基準では、この時のこのクルマは完調な73Sだったとはいえません。残念ながら当時の私は本当のナローの実力を良く分かっていませんでした。この時の修理の詳細はいずれ機会があったらホームページ上で公開したいと思います。

さて、ここでジョン・トーレン氏の名誉のためにある事実をお伝えします。このクルマは、オリジナルでない色で塗り変えられていました。後日このクルマを徹底的に見る機会があった時に元色は何か、考えられるところはすべてチェック(部品を外して)しましたが、元色は一切現れませんでした。普通、色変えを完全にした(完全に元色をとった、はく離した)といっても必ずどこかに元色の痕跡を残しているものです。それが一切無いということは、実に丁寧なボディーワークがされているということであり、日本でこれをしたらいったいいくらかかるだろうと、敬服したことがあります。