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第241話 桜井真一郎氏の訃報に接して
スカイラインの開発者として高名な桜井真一郎が先日お亡くなりになりました。心よりご冥福をお祈りいたします。
数年前から、戦後日本車の黎明期、高度成長期の開発者がもうすぐお亡くなりになる、その当時の開発秘話を一刻も早くまとめておかなければと自動車ジャーナリストのI氏が話しておられましたがいよいよ現実になってきたと実感しました。
桜井氏は、いままでもいろいろな雑誌等で語られているので比較的エピソードは多いと思いますが、そのほかの方達が心配です。
さて桜井氏の話で、?と思ったことがあります。それは、初代プリンススカイラインを開発していた時のことで、氏の語り口からヨーロッパのメーカーに負けている、差があるといったことが一切語られないことでした。かえって同等というイメージすらありました。現代の目から見れば当時の国産メーカーとヨーロッパのメーカーとは一目瞭然というか歴然とした差があるとわかりますが、氏からはそういう意識は感じられませんでした。
そのことをどうしてだろうと考えたことがあります。そこで思い至ったことがあります。戦後の日本の自動車メーカーには、戦前の航空機開発者がたくさん移っていったことです。彼らは、航空機の分野で日本が外国に引けをとっていたとは考えていなかったのだと思います。だから本当に開発者の意識としては同等だったのでしょう。
ただ、メルセデスが機械式燃料噴射(ナローのメカポンと基本的に同じ)を装着して300SLを市販したころ、トヨタから初代トヨペットクラウンが発売されましたが、どう見ても私には歴然というかどうしようもない差があったとしか思えません。
よく言われる第1回日本グランプリのスカイラインGTとポルシェ904のバトルも、2台が一緒に走ること自体がありえないことだというのが真実だと思います。後年ですが54Bと904の両方に乗ったものとしてはそう思わざるを得ないのです。
しかし、現在の日本車がここまで来たのは、桜井氏のような先人達の気概があったからだと思っています。
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