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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第257話 1973 その1
1973年

 1973という数字はクルマ好きには、何かと意識するかかわりのある数字だといえます。なぜ?
 1973年という年で、真先に思い当たる大きな出来事といえば第一次オイルショックです。近年でいえば、2001年の911、2008年のリーマンショックに勝るとも劣らない出来事でした。イスラエルとエジプト、アラブ諸国連合との第四次中東戦争ぼっ発により、OPEC石油輸出機構が原油価格の大幅上昇と生産量の削減、アメリカなどイスラエル支持国ヘの全面的石油輸出禁止などを決定した事によって起こった世界的な経済混乱です。
 今でも、テレビで人々がトイレットペーパーを買い占める映像が流され、リアルタイムで体験していなくても、ああ、あの事件ねとすぐピンとくる方も多いと思います。先日の東日本大震災でガソリンがなくてスタンドに列をなしましたが、この第一次オイルショックでは、はじめてガソリンスタンドが強制的な休日休業(都心部を除き休日はかき入れ時で普通休日は営業していました)になり、価格が大幅上昇して販売数量を制限されたりしました。一時、満タンに出来ない人もたくさんでました。それまでに経験した事の無かった事態でした。
 1973年は、10月の後半11月まで、このオイルショックの混乱が発生するまでは実に好景気の年でした。世は、田中角栄首相の日本列島改造ブームに沸き返り、不動産価格は1990年ころのバブルの時と全く一緒で、軽井沢の別荘地販売の業者などは一晩寝て起きると財産が増えたと感じるくらい土地が値上がりしたといっていました。
 クルマについても、好景気で販売台数は大きく伸び生産が追い付かず、超燃費の悪いロータリー車(燃費が悪くても速かった)も売れに売れていました。背景には、アメリカのマスキー法にならった非常に厳しい排ガス規制(昭和50年規制)の導入が決定されいて、翌年(昭和49年)から昭和48年規制までのクルマとは全く異なる(燃費が悪くパワーの低い)クルマだけになってしまうということもありました。この昭和48年の国産車事情は「1973 その3」で取り上げますのでひとまずおきますが、クルマ好きにとっていい年であったことは間違いありません。
 この第一次オイルショックが現在まで影響している大きな事象があます。それは原子力発電です。この石油危機の影響は、日本社会に省エネルギーと石油に依存しないエネルギーの開発活用を促しました。そのひとつが原子力発電です。原子力発電はそれ以前からありましたが、オイルショックが原発推進という方向を決定づけたといっていいと思います。ただ、原発というものが、根本的に存在が否定されるべきものなのか、運用管理が今回の事故の反省を十分して、いままでと異なった視点から見直されて活用されれば、問題のないエネルギー源なのか私には判断材料がありません。一刻も早い事故収束が望まれます。

 しばらくこの1973という数字にまつわる話を続けます。



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