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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第258話 1973−2 
昭和48年規制最後の年

 1973年は昭和でいえば48年です。この年は排ガス規制の境目になる年でした。
 昭和40年代後半、日本ではさまざまな公害、汚染が深刻となっていました。中でも大気汚染は大きな社会問題でした。原因は工場からの排出ガスと自動車の排気ガスでした。
 そこで導入されたのが自動車の排出ガス規制です。現在施行されているものは平成12年規制ですが、それ以前のものは昭和53年、昭和51年、昭和50年、昭和48年規制でした。先週もちょっとふれましたが、当時全く非現実的で達成不可能といわれた、アメリカのマスキー法をまるまる導入した昭和53年規制(50、51年規制も含めて)と昭和48年規制は根本的な数値の違いがありました。その規制を達成するためには触媒の導入やエンジンに大幅な改造を施さなければならず、出力が極端に低下した排ガス対策を実施したエンジンを搭載した規制車は、実用にならないほどパフォーマンスが低下するだろうという現実がありました。
 カーグラフィック誌の小林彰太郎編集長をして、排ガス規制後の極端に加速性能の低下したクルマと48年規制のクルマが一般道路で混在して走るのは交通安全上危険ですらある、だから規制を一気にするのではなくいったん規制開始の期限を延期して、排ガス対策技術の開発段階に合わせて順次規制を強化していくべきだとカーグラ誌に書いていたほどです。
 その時は、私のようなカーマニア(死語に近いですが、当時のクルマ好きは皆こう呼ばれていた)はそうだそうだと思ったものです。ただ、あとで冷静になって考えてみて、日本を代表する自動車雑誌の編集者が環境対策に異議を唱えるような、普通のカーマニアがいうようなそんなこといっちゃまずいんじゃないのと気が付きましたが、そんなことが問題にされることもない良い時代でした。
 一般的に1973年、昭和48年はこの規制の緩やかな48年規制車を買える最後の年という認識がありました。現実は、継続生産車は翌年もまだ販売出来ましたし、輸入車はさらに数年猶予がありましたが、規制後はお先真っ暗という気分でした。
 私はこの48規制車を新車で買えた最後の世代でしたが、もう少し後の世代は、53年規制の新車を買うより48年規制の中古車を買うのが当然の選択になっていたと聞きました。
 ただ今になってみると、現在のクルマはこの53年規制よりも厳しい数値を達成していて、なおかつこの時代のクルマに比べて3倍近く燃費が改善されて、この時代のJISネットで較べたら、リッター100馬力にもなろうというエンジンがミニバンにごく当たり前に搭載されている現代は、やはり凄いのだと思います。
 では、国産車がこの規制を乗り越えたのはいつごろかということも、1973につながる話として数話後に振り返ってみます。

 次回はお約束の1973年の国産車事情です。



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