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第260話 1973−4
国産車が53年規制を乗り越えられたと感じられたのは?
真っ先にこれは速いんじゃないと感じられたのは、13Bロータリーエンジンを載せたコスモAPに乗ったときです。
友達のうちで、真っ赤なコスモ(1975年発売?)を買った(もちろん友人の希望で)というので見せてもらいながら運転させてもらいました。これがトルクコンバーター付のミッションでギアを入れたまま停止してもエンジンストールしない初体験の面白いクルマでした。
首都高の7号上りの直線を目一杯引っ張った運転で、何て速いんだ、久しぶりに対策前の気分になりロータリーは排ガス規制を克服したといってもいいなと感じました。このコスモは宇佐美恵子さんのコマーシャルを見てもわかりますが、ラグジュアリー路線で売っていました。燃費が大きく改善したというマツダのふれこみでしたが、燃料メーターの針の落ち具合からサバンナGTほどではないにしてもやっぱりガス食うなという感じでした。旦那仕様のグランツリスモではありましたが、国産車が新たな領域に入ったことは確かでした。
1970年代後半、トヨタはTTC−C、日産はNAPSといったネーミングで触媒付排気ガス対策車を販売していました。ホンダだけCVCCという希薄燃焼方式で触媒を使っていませんでしたが、どの会社にしろ排ガス対策前の水準には達していませんでした。
1981年、トヨタが新たなスポーツカーカテゴリーのクルマ、ソアラを発売したと話題になりました。はじめにいっておきますが、私には新たなスポーツカーカテゴリーなどではなく、BMWのE24、6シリーズのトヨタ版だとすぐ思いました。そのことはさておいて、このツインカム2800ccの5MーGEUを載せた、ソアラ2800GTはレシプロエンジン車も排ガス規制を乗り越えたなとはじめて感じたクルマでした。ただ、排気量が3000ccくらいないとだめなのかなとも思いました。小型スポーツカー?で同じことを感じられたのは4AG搭載のAE86の発売まで待たなくてはダメだったなあと気がついたのは、もっとずっと後のことでした。
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