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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第264話 昭和40年代後半の思いで−1 
トキワ気化器 その1

 昭和40年代後半から50年代前半のクルマ好きを取り巻く思い出です。東京、関東の話題が多くなりローカル色が満載ですがご容赦ください。クルマ好きカーマニアといっても、毎月購入する自動車雑誌が5誌くらいあって、必ずカーグラとモーターファン、自動車工学は買うという人の話だと思ってお読みください。
 トキワ気化器はキャブレターのOH、リビルト屋さんです。東京タワーの近く、赤羽橋にありました。東京タワーからの距離は、ALWAYS三丁目の夕日に出てくる鈴木オートよりずっと近くでした。ちなみに映画の東京タワーに本物との若干の違和感があるのはなぜだろうかとちょっと考えてみました。それは、タワーの立地にあるように思います。実際は丘というか、あのあたりで一番の高台にあります。そこが違うように感じますがいかがでしょうか。
 さてトキワ気化器は社長の若林さんが一代で築いた会社でした。ダンパーのリビルトに始まり、廃業移転するまでキャブレターのOH、リビルト屋さんとして名を馳せていました。そして、ミクニ気化器製のソレックスの代理店として、三陽気化器と二分していました。三陽気化器は自動車雑誌にも広告を出していたので知っておられる方も多いと思いますが、トキワ気化器は直接行けば、調整をしてくれ、いろいろなことを教えてもらえるのでマニアの間ではかなり知られていました。
 そこで教えていただいたこと、また出入りしていた、今でいえば超クルマおたくのカーマニアのことは来週にいたします。昨日旅行から戻りました。






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