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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第268話 昭和40年代後半の思いで−4
トキワ気化器 その4

 昭和49年ころ大学生だった私がこの人はすごいなあと思った人がトキワ気化器によく来ていました。普通の大学生でしたが、クルマいじりがプロはだしでした。乗っていたTE27レビンを運転させてもらいましたが、ノーマルの状態を知っていた私にはその操縦性が実にニュートラルで理想に思えました。
 聞くと、KONIのダンパーを少しづつ締めこみながら、何度も何度も試行を繰り返しながらこの状態に持ってきたといいました。そこで、いくつか質問しました。それって、ダンパーをフロントのストラットケースに入れてその都度外したんですよね?、ダンパーの減衰力はどうやって揃えたのですか?、KONIって半回転づつしか締めこめないんじゃないですか(KONIは締めこむときは半回転づつと指定されていたので)、任意のところでOKなんですか?。
 彼はこういいました。もちろんその都度フロントは外しては着けを繰り返しましたよ。減衰力は何の測定器もないので、部屋の鴨居のようなところにいっぱいまで縮めてぶら下げて、自分でぶら下がってみて伸びきるまでの時間、秒数をはかって、皆同じにしたよ。だから、締めこむ量は半回転に限らないと。
 その当時も、KONIのダンパーがアジャスタブルなのは、へたってきたダンパーを締めこむことで元の状態にして、長く使用するためと知っていましたが、私も締めこんでハードにして使ってみたいと思っていました。ただ、自分で出来るとは思っていなかったので、どのくらい締めこんでもらうのか皆目見当がつきませんでしたし、一発で決まるわけもなく費用も相当かかるなと思っていました。ましてや、その締め具合をどう伝えたらいいのかもわからず、KONIの装着はとん挫していました。
 それを聞いて、締めこむのは自分でするとしてもその量はやはり試行錯誤しかありませんでした。その彼は、締めこみ量は教えられないといいました。それに、TE27の数字がTA22にそのまま応用できるとも思えませんでした。脱着の工賃もバカにならないと考えていました。
 その後、KONIは装着しました。いろいろ試行しましたが、彼のTE27のセッティングまでは達しませんでした。また彼のキャブセッティングも見事でした。彼は番外にしても、似たようなクルマ好きが当時のトキワさんにはたくさん来ていました。





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