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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第270話 昭和40年代後半の思いで−6
トキワ気化器 その6

 トキワさんに通っていて、見た事、聞いた事、覚えた事はもっと沢山ありますが、大分長くなったので今週でひとまず終了します。  今日はもうお二人、トキワさんで出会った方の思い出です。一人は、トキワ気化器の担当だった三國工業(株)の営業の方です(すみませんお名前忘れました)。彼の話によると、当時のミクニではいろいろなインジェクション(燃料噴射)のタイプを試してみたといっていました。時代は間もなく、キャブレターが燃料噴射に変わっていくところでした。ボッシュの機械式燃料噴射、クーゲルフィシャーの機械式燃料噴射、スピカの機械式燃料噴射など皆実験したといっていました。
 ベンツとポルシェでは若干違いますが(ちなみに生産車用とレーシングカー用も異なります)、ボッシュは言わずと知れたMFIです。クーゲルフィシャーはBMWの2002TiiやM1に使われて知られていました。その後ボッシュに吸収され、基本的には同じだといわれています。以前M-HOUSEでポルシェのMFIのOHをお願いしているところに、BMWのM1のクーゲルフィシャーがOH可能かどうか聞いた事があります。返事は出来るでした。スピカの機械式燃料噴射のことはなぜか良く覚えています。それは、吐き捨てるように全くダメ、使い物にならないといったからです。
 当時、アフターマーケット用ソレックスキャブは売り手市場でした。トキワさんと三陽で取り合っていました。私には、トキワさんで見かけた営業の方は、何かお茶を飲みに来ているように見えました。だから、仕事の邪魔をしているといった感じが全くなかったのでいろいろな事を遠慮なく聞けました。時々夕方になった時は、神田にあった東京営業所にクルマで送ってあげました。クルマの中でBMWの02の話になって、私は2002Tiiが欲しいと言ったら、彼は1800Tiが欲しいと妙に渋いことをいったのを覚えています。今はどうしているのかなとたまに思い出します。
 もう一人は、トキワ気化器の若林社長です。若林さんは、立志伝中の人物です。キャブレターのリビルトに行き着く前に、ダンパーのリビルトやその他クルマに関することはたいていのことはやったという事でした。社長が手作りした水銀マノメーターでソレックスを調整すると、各気筒のバランスが簡単に揃って今でもあれが欲しいなと思います。1980年代のバブルがはじまりだした頃に、会社のあった場所を手放されトキワ気化器はなくなりました。80年代の終り頃から90年代の中頃にかけて、ミツワのメカニックやBMW正規代理店のメカニックの方々が、トキワ気化器があればなあと、キャブのOHが必要な修理のたびにいっていました。業界では本格的なキャブレターのリビルトOHの会社として貴重な存在でした。
 本当にトキワ気化器での体験は意味があったと思います。今回そのころを振り返って、現代の旧車好きの若者は私や同時代のクルマ好きが普通に体験していた、こういった部分の経験がないままで、60年代70年代のクルマに接するのはやはり厳しい面があるだろうなとあらためて思いました。どこかでギャップを埋める機会、もしくはああいった体験が出来たらいいなあと思います。逆にギャップそのものの存在に気が付かない、もしくはそんなことに意味があるのかと思っている人の場合は、どうしようもないなあと憂鬱になります。




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