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第304話 原発事故報告と終戦報道 核心の酷似
NHKスペシャル原発事故報告(メルトダウン連鎖の真相)から見えた問題点と終戦報道で見た第二次世界大戦後の旧陸海軍幹部の反省会の内容が、あまりに酷似していたことのいいようのない絶望
あまりに長い副題ですみません。
日頃現代に生きる私たちは、江戸時代(それ以前も含めて)や明治、それ以降昭和の人々も含めて、過去の人々は情報不足や教育不足から現代の私達とは残念ながら異なっている。もしくは、少なくてとも現代日本人の方が少しは賢くなっていると考えているのではないでしょうか。しかし本当にそうでしょうか。
上記二つの番組の細かい内容の列挙はしませんが、想像力欠如、準備不足、無謀、泥縄、過信、隠蔽、粉飾といった言葉が完全に共通するものでした。昭和十年代の日本人と平成二十三年の日本人には何の違いもありませんでした。原発事故はどう見ても人災だとしかいいようがありません。
一旦重大事故になれば人間が制御することが困難になる原子力発電というものに、天災人災によらず施設の壊滅的破壊を想像し、そのためのあらゆる、荒唐無稽なものまで想定の上準備をし、その運用には慎重にも慎重をバカがつくほど期し、緊急時の行動作業をシュミレーションし模擬事故を起こして繰り返し繰り返し訓練を実施し、自分たちの力の過信をせず、情報を設置者側だけで所有することなく不都合な相手にも公開し、事実や情報を都合の良いように解釈や脚色、言い換えなどをせず、怖れを持って建設運用にあたったらあのようなことはなかった、もしくは放射能除去フィルター付(現時点では装着されていない)ベントまでで済んだのではないかと思います。
これらを誠実に実行すると多額の費用がかかることでしょう。しかしどんなにかかっても、それでも今回の事故補償原子炉処理費に比べたら十分の一程度でしょう。
国の基準通り、原子力委員会や保安院の規制に沿っているという電力会社の言葉を何度も耳にしました。そしてその基準作りにも決定的な関与をしていた、電力会社、メーカー、研究機関大学のことを考えると戦前の日本と今も何も変わっていないと理解できるはずです。当面もしくは今後も原子力を使い続けるにしても、十年後二十年後、三十年後の日本の姿、エネルギーの確保の方法を未だに提示できないこの国に失望を禁じ得ません。
国家百年の計といいますが、今からあらためて人づくりから始めなくてはならないのかもしれません。新憲法制定(改正ではなく)と教育改革の実施で国民の意識改革からスタートしなくてはならないのかもしれません。
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