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第332話 山崎豊子さんの訃報
凄い人だと思ったこと(すごい人列伝)
9月30日、作家の山崎豊子さんの訃報が報じられました。誰でもが知っている小説家です。たくさん作品を読ませていただきました、映像でも見せていただきました。このところ911にお乗りではないのでお見えになられませんが、白い巨塔に主演された時、唐沢寿明さんに絶賛のメールを差し上げたのが昨日のような気がします。
ちょっと脱線しました。昔子供の頃に、山崎豊子さんって凄いなと思ったことがありました。実のところ山崎さんのことを新聞の略歴報道以上に存じ上げているわけでもなく一読者に過ぎないのですが、「女の勲章」を読んだときこの人凄いと思ったことがあります。
以前このエッセイのどこかに書いたと思いますが、高校二年生の夏に同級生の友人とふたりでヨーロッパを旅行しました。その途中、ジュネーブからパリに向かうのに飛行機を使いそれもカラヴェル(フランス初の中距離ジェット旅客機)とエールフランス航空(短距離で残念でしたが)に乗ってみたくて旅程を組みました。その結果、パリへの空港はオルリー空港になりました。その時空港内をいろいろ歩き回ったので、オルリー空港の様子をよく覚えていました。
それから二年くらいたって「女の勲章」を読みました。その中に、主人公がオルリー空港に行く場面がありました。その空港内の描写が実に見事だったのです。私ははじめ、渡航が自由化されていないあの時代にもヨーロッパに現地取材に行かれたのだと思いました。しかし読み終えて、あとがきのところにこれを書いていて唯一不安だったのは現地を見ないで資料だけでオルリー空港の場面を書いたことです、と書かれていたのです。小説の中のオルリー空港は、私が行ったところそのものだったのです。凄いと思いました。大学一年生の私には驚きでした。凄いと思わなければならないのは、そんなところではないよとお叱りを受けるのを覚悟で書きました。
その後、「沈まぬ太陽」を読んで、あらためてその力量に圧倒されたことがあります。私は学校を出て五年ほど旅行会社に勤めていました。ちょうどその期間が、小説の中に書かれているある時期と一致していました。小説のモデルとなったと思われる航空会社の営業の方たちと私の先輩たちと、仕事以外?に一緒にご飯を食べたり野球を見に行ったり、そんな中から会社内の事情や様子が聞かれたり見えてきました。外部から見ていて窺い知れたことですが、まさにその内容が小説の中に描かれていました。正確にはより詳しく、あの当時身近に接していてもわかりようのないことが、つまり外部には漏れようのないことが本の中には書かれていました。あの頃をかえりみて、十分に事実だと推測できました。凄いことです。
訃報は誠に残念です。もうあの世界、山崎豊子さんが着目し、綿密な取材を重ね、そして小説として描く、あの新作はもう出来ないのだということです。時間がたてばたつほどそう思うのだろうと思います。
本当にありがとうございました。
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