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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第335話 911の50周年―1
1963年の思い出

 フランクフルトショーから50年、各地で50周年のイベントが行われています。
そのイベントについては、ひとつ二つ覗いてみようと思っていますのであらためて書きます。
 1963年、911のプロトタイプがフランクフルトショーで発表されてから今年で50年ということになりました。この年は年号でいえば昭和38年です。東京は翌年にオリンピックを控えた年で、いろいろな工事が行われていました。三和の六本木ショールーム(まだオープンしていなかった?)の前も首都高速の工事が始まった頃です。66年頃の橋脚工事をしているところがショールーム越しに写りこんでいる写真がうちにあります。首都高速はまだほんの数キロしか供用開始になっていなかったと思います。
 テレビでは、初めての衛星中継(もちろんLIVE)が行われ、その最初の内容がケネディー大統領暗殺のニュースだったことを覚えています。確か日本は日曜日でした。
 都内にはまだ、都電が縦横無尽(子供にはそう見えた)に走っていました。タクシーはLPG車が増えてきて、私はプロパンガスの車は酔うからいやだと言っていました。そんな二代目クラウンのタクシーに乗りました。その頃私の父が築地のがんセンターに入院していて、渋谷から都電で築地まで行きました。父が危篤だという知らせで、学校を早退して急いで向かいました。そんな時でも酔ってしまったのを覚えています。12月19日でした。
 渋谷では、オリンピック施設の建設が突貫工事で進められていました。私の小学校も、重量挙げの会場となった渋谷公会堂(この間までCCレモンホール)の横に、移転のため急ピッチで新築工事が進められていました。ちなみに移転前に小学校があったところは、現在東急百貨店の本店になっています。
 1963年12月号のCGを見ると、三和自動車の広告ページに、ポルシェは、356C(64年型)になりましたと書かれていました。4輪ディスクブレーキとなった、唯一911のように使える356だと、三栄書房のPINさんが言っていた『C』です。情緒的ではない、理知的な判断だと思います。
 8歳の私には、クラウン、コロナ、ブルーバードは名前と車が一致しても、ポルシェの名前は聞いたことはあっても356の形は思い浮かびませんでした。翌年904をスロットルレーシングカーで知るまではです。




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