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ナローポルシェや、M-HOUSEをとりまく色々な事柄を綴った不定期更新のエッセイです
第349話 徳大寺有恒氏死去
杉江博愛氏死去

 皆さんご存知の徳大寺有恒氏が亡くなられました。もちろん氏とは何の面識もありませんが、印象に残っていることが二、三あります。徳大寺氏が、「間違いだらけのクルマ選び」を初めて出されたころ、小林彰太郎氏が批判的であったことです。CG誌上で批判的な内容のことを書かれていたのを覚えています。そのとき、初めて徳大寺はペンネームで本名杉江というのを知りました。今になってみると、徳大寺氏の評論そのものには問題はないと思いますが、当時本名でないことは、謎の人物として売り出していたこと?と意見評論に責任を持っていないと受け取られたのだと思います。その後、NAVIに登場するようになり、批判的な二玄社がどうしてと思ったことはありますが、大川氏(NAVI初代編集長)とは仲がいいのかなと思いました。
 二つ目は、氏がDaimler Double Sixを買った頃です。完璧なボディーコーティングをする(機械洗車をしても傷つかない)ということで、日産のオーテックジャパンでクリア塗装をしたという記事をNAVIで見た時です。私も完璧なボディーコーティングはないのかと思っていたので、氏が太鼓判を押していたその方法(ダイヤモンドクリアと言った?)に飛びつきました。買ったばかりの新車をオーテックジャパンに持ち込みました。その時、ガラスは外さないでマスキングでいきますと言われましたが、??と気になりましたがさして不思議に思いませんでした。何日かして連絡すると、上手く出来なかったのでやり直している言われ??と思いクルマを見に行きました。そこで初めて工場の中に入りました。そこには、アルファロメオの新車がたくさんありました。FIAT ALFAROMEO JAPANのPDIを請け負っていました。それと、日産製の救急車、パトカーの改造をやっていました。
 私のクルマは塗装前だと言われました。その時初めて、ダイヤモンドクリアとは塗装なんだと気がつきました。何度も聞いていたのにコーティング=バフ等による文字通りコーティングと思い込んでいました。私のクルマは一度目の失敗のため、そのクリア塗装を剥がすためサンディング中で、新車の塗装もザラザラになっていました。この時、アッ、失敗したと思いました。雑誌の記事を鵜呑みにするなんて、何とバカなことをしたと自分を責めました。作業をしていたおばさんは、もう一度塗りますと言っていました。新車時の塗装はもうそこにはありませんでした。
 仕上がってきたクルマはキレイにはなっていましたが、各所にクリアの厚ぼったいところ、たれているところがありました。もう一度やり直してもらおうと思いましたが、ますます新車でなくなると思いました。ここでは何度やっても、おばさんがやることも含めて満足のいく塗装はできないと、私は徳大寺氏のような影響力のある人ではないしと、諦めて30万円プラス消費税(3%)を払いました。このクルマは13年近く乗りましたが、常に自戒の対象でした。いい仕事をしてもらうには、そこに対して影響力がなくてはダメだと思いました。一台しか仕事をしてもらわない、二度と来ない、そしてその道の素人は、所詮満足のいく結果は得られないのだと。
 三つ目は氏が乗っていた、Vicarage Jaguer MarkUの記事を読んでです。多くの方が自分も古い車を購入するときは、古い車をレストアするときは、あのように現代的な改装をほどこして(例えばクーラー取付け、パワーステアリング装着など)楽しいカーライフを送ろうと思っているのではないでしょうか。
 日本においては、Jaguer MarkUはオーバーヒート対策の根治ないクルマ、ハンドルの恐ろしく重い車、回転半径の大きな切れないクルマです。そのネガティブな部分を現代的にアップデートできることは大きな魅力です。しかしそれはJaguer MarkUではありません。乗るためには仕方ないじゃないかと思われますが、言ってみれば、現在売っているビートルやマスタングのようなものです。まあそういう改造をすると違うクルマになってしまうということです。
 氏のVicarage Jaguer MarkUから、911(ナロー)は最初から恵まれているなと思いました。オーバーヒート対策はメーカー段階でそれなりに出来ているし、リアエンジンのためハンドルはパワステ並み(言い過ぎ?)に軽く、回転半径もどちらかといえば切れる方といっていいと思います。それらは大きな美点、アドバンテージです。そこが、ナローが高騰する理由の一旦でもあります。
 そして、あまり語られていないですが(もしかして私の勘違い?)、氏が関わっていた雑誌『NOW』です。高校生大学生でしたが、この雑誌は面白かったです。ご存知の方がおられるといいのですが、当時の雑誌が一冊ぐらいどこかに残ってないかなと思いました、
 私は氏のようなクルマ遍歴をしませんし、出来ませんが、大の字が三つもつくようなクルマ好きであったことは間違いありません。
 ご冥福をお祈りいたします。




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