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第45話 映画の中のポルシェ-1
スタイルが独特で絵になるクルマだからだと思いますが、映画の中にポルシェは良く出てきます。ポルシェ好きにとって記憶に残っている映画、ポルシェはいろいろとあると思いますが、スティーブマックィーン主演の『栄光のル・マン』と最近の『スパイゲーム』ロバートレッドフォード、ブラットピット主演は割合多くの方の記憶に残っているのではないでしょうか。どちらもナローが出て来るのと、どちらもナローがカッコいいという点で共通しています。
今回は『栄光のル・マン』のお話をしましょう。『栄光のル・マン』にレース中を含めるとナローは沢山出てきますが、普通『栄光のル・マン』のポルシェというと映画の冒頭スティーブマックィーンがル・マンのコースを走る紺色のナローをまず思い浮かべるでしょう。これが実にカッコいいのですが、ポルシェ好きが集まると何年式かというのが話題になります。ちょっとポルシェに詳しい人ならだいたいの見当がつくのですが、それは2,2LのSだということです。ご存知のように2,2Lは1970年と71年の二つの年式がありますが、このどちらかかという決め手に皆さん欠けるようです。
そこで今日は正解をご披露いたしましょう。まず、2,2Lの1970年と71年を見分けるのは外観からは非常に難しいということです。現車を前にして見れば質感やいろいろなところが目に入ってくるので見分けられるのですが、写真や映画を見てということになると外観からだけでは無理でしょう。ですが一箇所だけあります。これから申し上げるところは、レンタルビデオ屋さんで借りてきたものにはそのシーンがありませんのでいわゆる劇場公開版、もしくはNHKの衛星放送があった時に確認していただければと思います。
映画の中ではほんの数秒(1秒位)しか映らないのですが、運転席から(スティーブマックィーン)の視線で外が映っているシーンでフロントガラス右下(室内から見て)が映っているところがあります。ここにステッカーが見えます。1970年、71年というとリアウインドーの中央下の「2,2」のステッカーが有名ですが、フロントウインドー右下にも丸いスッテカーが生産時に貼られています。現在まず見かけることのないステッカーですが、それは1972年式と1973年初めのナローに貼られているので有名な、ワールドチャンピオンを記念して作られた「MARKEN・WELTMEISTER」の1969年版と1969年1970年版です。この二つにはいくつか違いがありますが、瞬時に見分けられる大きな違いは、白黒の市松模様(チェッカー)の部分が左右反対になっているということです。ちなみに1969年1970年版と1971年版は白黒の市松模様が正面から見て左側に来るようになっていて同じ方向ですが1969年版は右側に来るようになっています。つまり映画の画面で見ると、丸いスッテカーの左側に市松模様に見えるようになっていれば1970年式、右に見えるようになっていれば1971年式ということになります。確認をしていただければわかりますが、市松模様が左側に見えます。
そしてここでさらにダメを押すと申しましょうか、ポルシェに詳しい方の疑問にお答えする必要があると思います。先ほど1971年版の「MARKEN・WELTMEISTER」のスッテカーは1972年式と1973年初めのナローに貼られていると申し上げましたが、それなら1969年版のスッテカーも1970年と1971年の初めまで貼られていてもおかしくないのではないかとの疑問が湧いてきます。これには映画の製作年度といわゆるインサイドストーリーでお答えするしかありません。この映画の製作年度は1970年(注)であり、スティーブマックィーンはこの映画を作るに当り、実際のル・マンを撮影して、別途自らの映画のレースシーンを現地で撮影して編集したといわれています。ル・マンは6月に行われるレースであり、そのことからも、1971年式車は生産を開始しておらず、劇中車は1970年型といえます。
さらにもう一点、気づかれた方も多いと思いますがこの1970年型の911Sはアメリカ仕様だということです。どういう経緯でアメリカ仕様なのか、アメリカから持っていったのか、アメリカに持って帰ることを考慮に入れて現地で購入したのか現在の私にはその判断材料は残念ながら今のところありません。
近い内に『スパイゲーム』のグリーンのナローの年式もお教えしましょう。それまで皆さんなりに考えてみてください。
(注)yahoo等で検索すると1971年度製作との表記が見られますが、実際の撮影は1970年のル・マン及びレース終了の翌日からレースシーン(本物のレースではない映画用)を撮影したもので詳しくは、CARグラフィック1970年10月号のマニアのページをご参照下さい。日本でのロードショウは翌年1971年の7月でテアトル東京(現在のホテル西洋のあるところ)他であったと記憶しています。
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